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ル・マンな週末




 世界の3大自動車レースと言えば、
F1モナコGP、インディアナポリス500マイル、そして
ル・マン24時間耐久レースであって、
これは、少なくともワタシが小学校低学年の頃から、
(という事は45年以上前だが)
エジソンは偉いヒトと同じくらい、そんなの常識なのだ。




 中でも、24時間ぶっ通しでレースをするという
ル・マン24時間は子供のころ夢中になった。




 そもそも、セブン・イレブンも深夜営業のラーメン屋もない時代、
テレビも夜中過ぎで終わってしまうし、
夜はすべてが活動を止める時間帯であった。





 そんな中、昼間から夜通しレースをするとは、
なんてアドベンチャーなんだろう、と思い
想像するだけでわくわくしたものだ。




 それにしても、ル・マン24時間レースも、パリ・ダカール・ラリーも、
オリンピックもワールドカップも考案者はみんなフランス人なのだなあ。
面白いことを考えつくフランス人はエライ!





 ワタシがル・マンに夢中だった当時は、まだポルシェ黄金時代の前、
つまりあの有名な映画「栄光のル・マン」がつくられる前で、
フェラーリ全盛の時代だったところにアメリカからフォードが参戦してきて、
一騎打ちを行っていたいわゆる「FF(フォード・フェラーリ)戦争」
の時代であった。





 もちろん、テレビ中継やニュース報道は一切ないので、
メディアは新聞や月遅れの雑誌のグラビア報道であったが、
写真があるとせっせと切り抜きをつくりスクラップ・ブックに貼っていた。






 大分経って、80~90年代からは日本車の参戦が相次ぎ、
テレビ朝日が中継を始めました。






 それまで、「ル・マン」のイントネーションは
活字でしか見たことなかったので、
ずっと前にストレスがある「(鉛筆が)ニホン」と同じと思っていたら、
テレビ中継で「(国籍は)ニホン」と同じ平板なイントネーションだったので
大変違和感を覚えた記憶がある。






 その後中継は無くなってましたけど、
今年、トヨタがハイブリッド・レーシング・カーで久々に参戦、
ってこともあり、スカパーでテレビ中継があり、
久々に見ることができました。





 ル・マンは毎年、夏至に一番近い(明るい時間が一番長い)
6月の週末に行われるので、今年は16~17日が開催でした。





 結果は(予想通り!)トヨタは惨敗、アウディの圧勝に終わりましたが。





 まあ、ワタシはメーカー的にはずーっと「アンチ・トヨタ」なので
それはどうでもいいのです。





 1991年にマツダ787Bが優勝した時はそりゃ大コーフンしましたけど。








 でもオレとしてはル・マンと言えば
フォードGT40であり、フェラーリ330P4であり、
なんといってもシャパラル2Fなのだ。

 



 実は、そのスクラップ・ブック、現存しています!

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 おおおお、ナツカシー!!




 レーシング・カー オタクだった少年時代が蘇ります。





 一度行ってみたいなあ、ル・マン。
(その前にモナコかなあ。)



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F1日本グランプリ2010



 日本グランプリ、小林カムイ、カッコ良かったですねえ。


 鈴鹿って、抜けるんだ、とビックリ。



 今後の活躍が楽しみなドライバーです。

20101010-kobayasi.jpg



 かつては、毎年のごとくF1を観に鈴鹿に行ってたんですが、
ここんとこしばらく行ってません。




 その当時はたいがい、こっちを土曜日の夜の9時ころ出発。



 車の後部をフラットにして、
コドモたちはそこで寝てもらって私は夜通し運転。



 夜食と飲み物を用意して、
東北道~首都高~東名~東名阪とノンストップで駆け抜ける。



 約600キロなので、朝4時前に鈴鹿に着きます。




 ホンダの鈴鹿工場は終夜臨時駐車場になってるので、
そこに車を止めて、そのまま私も仮眠して
朝になると、車で朝飯食ってから、トイレで歯を磨いて
シャトルバスでサーキットへ。




 レースが終わると、また車で夜中までかかって足利に帰って来て、
翌朝仕事、なんてのを何年もやってました。




 今は、体力的な理由、子供が大きくなったこと、
等々の理由で行ってませんけど、
今日のレースなんかみてると、また行きたい気持ちがむくむくと。





 生のF1の魅力は、美しいマシンと、官能的なエキゾーストノートと、
そして、オイルのニオイですかねえ。
(あと、サーキットのタコ焼きと。)



 ホンダのV12は、ホントいい音してました。



 それに引き換え当時の片山右京のミナルディときたら・・・。



 素人が聞いてもこんなマシンで走れなんて酷だ、
と感じるくらいヒドい音だったなあ。




 ああ、またホンダがF1に復帰でもしたら行きたい、
と思いながらタミヤのプラモデルを作っているこの頃です。




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タバコとF1

 タバコに対する、社会情勢は、最近大きく変化してるといえます。

 公共の場所での、喫煙はどんどん制限されてきています。

 それはWHO(世界保健機構)の「タバコ規制枠組み条約」を、わが国が批准したからです。
これは、タバコによる健康被害を防ぐこと、
特に受動喫煙による健康被害から非喫煙者を守る、ということが重視されています。

 それに伴い、喫煙場所の制限と、タバコ広告に対する規制が進められているわけです。

 これは、とてもいいことです。

 私もタバコやめて10年ですし、禁煙外来もやってます。
一人でも多くの人に、タバコの害を知ってやめてもらいたいと思います。


 ただ、ひとつだけ困ったことがあるんだなー。


 私、ホームページにもあるようにF1は子供の頃から好きで、
F1マシンのプラスチックモデルもよく作ります。

 ご存知の方も多いと思いますが、F1のスポンサーはタバコメーカーがとても多い。


 私が、F1に興味を持った頃は、まだマシンはナショナルカラーといって
国別に色が決まっていました。
イギリスはグリーン、イタリアは赤、フランスは青、ドイツは銀でした。
今でも市販車ではイギリス車の「ミニ」や「レンジローバー」は緑が多く、
イタリア車の「フェラーリ」、「アルファロメオ」は赤が多いし、
メルセデスはシルバーが圧倒的に多いのは、このためです。

 ちなみに日本から参戦したホンダの本田宗一郎はマシンを金色にしたかったのですが
金色は南アフリカとすでに決まっていたので、白のマシンになったというエピソードがあります。
(そのため、私のホンダS2000は白なのだ。

 初めてスポンサーカラーを採用したのはロータス49Bフォード。
1968年に、マシンはそれまでのブリティッシュ・グリーンから
一転してゴールドリーフタバコの赤と金に塗られていた。

 これです。
HillGraham19690801Lotus-Nordkehre[1]_ks
 
 これが、かっこよかったんですよ。
当時9歳の私は、ぐぐっと来ましたねー。

 以来、多くのタバコメーカーが走る広告塔としてF1マシンを彩ってきたのでした。

 ところが、1990年以降タバコ広告の規制によって、
まず、プラモデルからタバコロゴのデカールが消えました。

 実物の車には書いてあるのにキットには入ってないんです。
せっかく作っても、実物と違うし、何しろロゴの部分が抜けてるので、カッコ悪い。
子供への影響を考えての措置でしょうが、うーん、困ったって感じ。

 そのうち、実際のレースでも国によってスポンサーロゴが禁止になりました。
最初はイギリスGP,フランスGP。続いてヨーロッパ諸国も順次禁止になりました。

 日本やブラジルは最後までOKでしたが、最近はアジア、中東でもダメみたいです。

 だから、最近のマシンについてはモケイと実車のカラーリングの差はないわけですが、
昔の車を作る時に困るわけです。
 海賊版的に売られている、高い別売デカールを買ったり、自作しなきゃならないので大変です。

 最近作った、1/12のマクラーレンM23。1976年のマシンです。
もともとは1974年のヤードレー化粧品の仕様のキットを、マールボロ仕様にするので、
ボディの吸気口を塞いだり、ボディカウルを延長したりいろいろ改造が必要でした。
ちなみにバックミラーはボールペンのキャップを使いました。
P8210069_ks.jpg

 タバコはダメだけど、でも、タバコロゴはあったほうがカッコいいよねー。
でも、そういう価値観じゃ、ダメなのか・・・。

雨のモナコ

 伝統と格式のモナコ・グランプリ。
今年は11年ぶりの雨になりました。
1996年のモナコでは、リジェのオリビエ・パニスが、混戦を制したわけですが、
もう12年も前なのか・・・。

 モナコGPは世界3大レースのひとつです。
あと2つは、ル・マン24時間とインディ500です。
これは私が小学生の時から変わりません。

 ただ、最近はインディが、パッとしないのでこちらの方はあまり見てません。

 モナコはご存知のようにモンテカルロ市街地コースをF1マシンが駆け巡る、という
このレースが始まった80年前ならともかく、現在では、考えられないような無謀なレースです。
でも、その不可能なレースを、走りきってしまうF1ドライバーってほんっとすごいっすね。

 数々の名勝負を残してきたわけですが、中でも印象に残るのが
1992年のアイルトン・セナとナイジェル・マンセルのバトルですね。
マンセルの駆る「ウイリアムズ・ルノーFW14B」は、この年圧倒的な戦闘力を誇り開幕から連勝を続ける。
一方、前年チャンピオンを取ったセナは「マクラーレン・ホンダMP4/7」が、思うようなパフォーマンスを発揮せず、苦戦。
 しかし、レース終了直前のマンセルのピット・ストップでセナが首位に立ちそのまま奇跡の逆転優勝を手にした、というものだ。

 実は、このレース、苦い記憶が。

 かつて、F1は生中継がなく、テレビ放送は深夜枠だった。
なるべく見てたが、眠いのでやっぱり録画で、翌日見ることが多かった。

 当時、私は群馬中央病院に勤務してましたが、その時慢性中耳炎の手術で入院してた患者さんで
F1が好きで、自らもレーサーという方がいました。
月曜日、術後の包帯交換をしたらいきなり
「セナ、勝ったよ。」
「えっ、えー。ええー。」
何とリアクションしていいかわからず。
あとから
「何で、結果教えたー。バカやろー。」
と、怒りがこみ上げたが、後の祭り。

 かくして、このおっさんのおかげで一生に一度見れるか見れないかという名勝負を
台無しにされちゃったわけです。
この間のブログのつづきみたいですが、その前にもそのおっさんとF1の話をしてたので
私もうかつだった。

 しかし、当時F1中継やってる時間帯、病棟は消灯のはずだが・・・



 ところで、今日のレースの結果をこの先に書きますので、
まだレースを見てない人はこの先は、後で読んでね。
なんせ、スカパーでは、さっき生中継が終わったんだけど
地上波のフジテレビでは、このあと録画中継が始まるので・・・。


 ・・・大丈夫かな。じゃあ、結果書いちゃうよ。
優勝はマクラーレンのハミルトンでした。
それにしても、ホンダ、ダメだなー。やっとバリチェロがポイント取ったとはいえ・・・。
マシンのカラーリングが、悪いんじゃないの。
もっと、がんばってくれー。たのむよー。

 

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プロフィール

おぐぐー

Author:おぐぐー
昭和60年群馬大卒
開業医4人を中心としたロックバンドC.R.P.のリード・ボーカル&ギター担当
浦和レッズ・オフィシャル・サポーターズ・クラブ会員
家族:妻(耳鼻科医)1男1女1犬(柴犬)
http://ogujibi.com/

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