スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

今年はセールはありません

 ヤフオクでは最終戦のチケットが、大挙出回ってるようだ。
値崩れ、たたき売り説も・・・。


  2008年J1第33節

  浦和レッズ   0-1   ガンバ大阪  (万博競技場)
     (前半   0-0)
     (後半   0-1)



 ついに、今年は一回もガンバに勝てなかった。
同じチームと1年に4回やって一回も勝てない、ってのは最近ほとんどなかったはずだが、
今年は神戸、名古屋とも4回やって一回も勝ってない・・・。
(J2の時、札幌に一回も勝てなかったっけ。)


 前半の2本のポストは肝を冷やしたが、レッズにツキがあったということ。
その後のガンバの山崎の退場で、このゲームはレッズのものになるはずだった。

 しかし、こういう「もらった」ゲームをモノにできないのが今年のレッズ。

 前半のアグレッシブさは影を潜め、
下がってじっくり守るガンバにあわせたかのような、のったりした攻撃。

 人数の少ないガンバは、それほどカウンターを狙ってこないのもあって、
ポゼッション率の上がったレッズは例の
「そのうち、点が入るだろう。」ペースになっていく。

 チームとして個人個人が、何とか点をもぎ取ってやろうという、ハングリーさがなく
そのうち、誰かが点を取ってくれるだろう、という気持ちが見て取れる。
以前だったら、ワシやエメが個人の力でナントカしてくれたのだが、
今はそういう選手はいない。

 横パスが多く、パススピードが遅く、足元へのパスが多い。

 選手の動き出しが遅く、クロスの精度が悪い。
ガンバのクロスは、どれも良かったですね。
大きな差を感じました。

 そして、何故、永井を使わない?
後半、投入のチャンスは何回もあったのに・・・。


 とにかく、この敗戦により、リーグ優勝の可能性は数字上もなくなりました。

 そんなわけで、患者さんの皆様、
今年は「浦和レッズ優勝記念インフルエンザ予防接種&ピアス穴あけ半額セール」はありません。

 最後の可能性にかけて、予防接種の予約を見合わせていた皆さん、
普通に予防接種の予約をしてください。


 うーん・・・、残念。
(でも、セールやると外来大混雑しちゃうんで、大変なんすけどね。
半額だと儲けがほぼゼロもしくはマイナスだし。)

 まあ、来年に、期待してください

スポンサーサイト

半ズボンの時代

 野口先生の先日のブログhttp://ameblo.jp/noguchimikimasa/を見て、おお、と思ったこと。

「野口先生、半ズボン小僧だったんだー。」

 あの、モヒカンの、おしゃれな野口先生が、ご幼少の頃にはぬわんと「半ズボン小僧」だったとは!



 ・・・・実は、私、半ズボン小僧でした。


 小学校6年間、木枯らしが吹こうが、雪が降ろうが、ずーっと半ズボンで学校行ってました。
もちろん、タイツとかそーいう軟弱ものは一切なし。
フトモモをひりひりさせながら、からっ風の中を登校してました。

 やはり、風邪引いて学校を休んだあと、今日だけは長ズボンはいてけと親に言われ
長ズボン(んー長ズボンって死語だね、そーいや)はいて学校行った時、
やはりクラス中の友達にビックリされました。


 半ズボンでがんばったせいで、ほとんど風邪なんてもんはひかなかったんですが、
つらかったことがひとつあります。
さて、何でしょう?


 答えは、ナワトビです。

 なぜか、寒くなって来ると、学校で毎年ナワトビ検定がある。
元々ナワトビ好きじゃないんだけど、しょうがないから、練習するわけだ。
んで、2重とび(我々の間では通称『空中』といった)や2重アヤとび(同じく『空(くう)バツ』といった)
をやると、フトモモの後ろにナワがバチーンと当たるのよ。
半ズボンだと、これがイタイの、何の。
(だから、ナワトビ上達しなかった、というのはいい訳です。)


 あとは、痛かったのは鉄棒の足掛け回りかなー。
(鉄棒は、それと関係なく、マジ、苦手でした。いい訳はしません。)


 サッカーは結構全然平気でやってました。
(まあ、サッカーのユニホームは今も昔も短パンですしねー。)


 最近は、半ズボンはいてる子、いないですねー。
ハーフ・パンツは微妙に違いますからねー。

 昔は、鉄人28号の金田正太郎少年にしろ、ウルトラマンのホシノ少年にしろ、
マグマ大使のマモル君にしろ、みんな「正しい少年」は半ズボンはいてたもんだ。
(マモル君は冬は青い長ズボンはいてたか。)

 まあ、だからどうというわけではないですが、
いまだに、ズボン下、モモヒキのたぐいは、スキーの時以外は、はいたことがありません。


 そーいや、AC/DCのアンガス・ヤング(*)、この間の写真でまだ、半ズボンだったなー。
あいつにゃ、負けるわ。
dr084[1]


(*)アンガス・ヤング・・・オーストラリアのハード・ロック・バンド、AC/DCのギタリスト。
通称アンガス”スクール・ボーイ”ヤングといい、ステージ衣装は学生時代の半ズボンの制服。

点滴パーラー

 今朝のNHKのニュースで、東京で点滴専門のクリニックがサラリーマンに人気、
なんてのをやってました。

 映像では、受付のカウンターにきれいなお姉さんがいて
「今日は、何になさいますか。」
などとニコニコしながら訊いてくる。
そーすっとサラリーマンが
「今日は、首から肩が疲れてるので、その辺に効くやつを・・・。」
なんて、オーダーすると、
「かしこまりました、こちらへどうぞ。」
なんつって、別室で点滴してくれる、というもの。

 もちろん、お医者さんが、診察してオーダーをしてるらしいけど
全部を診てるわけではない。
保険診療では、ありえないから当然これ自由診療だと思いますが・・・、

 ちょっと、ヤバくないですか。

 まず、医療行為としての意味が無い。
ビタミン剤なんか打ったって、そんな元気になるわきゃないし。
せいぜい効果があるとすればブドウ糖でしょうが、そんなもん飴でも舐めときゃいいわけだ。
二日酔いの、脱水の時は、かなり効果的だと思うけど
サラリーマンが昼休みの15分の間点滴しても・・・?
その分、昼寝でもしたほうが、よっぽど健康にいいぞ。

 大体、そんな細かいオーダーに対応する注射薬なんか無いですよ。

 しかも、ブドウ糖なら原価はそれこそ砂糖水ですからたかが知れたもの。
それをおそらく数千円はとってやってるんでしょうから、まさに「水商売」ですね。

 まあ、効果としては
「体に針を刺して、薬を入れたぞっ。
高い金払って、痛い思いをしたんだから飲み薬よりはよっぽど効くだろう。」
という、まさに自己暗示。

 付け足しとしては、きれいなお姉さんに優しい言葉をかけてもらって、
10分ちょっと、安静にしていた、いうことくらいですか。
(これだけは、効果的かも)



 しかし、世に注射好きの人はいるようです。

 ウチも開院当初、診察のあと、注射を希望する方が結構いるのでビックリしました。
正直申しますと、開院当初、患者さんの数も少なく、経営も心配だったので
「注射してください。」
と、いわれると、しょうがないなー、でも患者さんが満足するし、
ウチも儲かるからいいや、とやってた時期がありました。(ゴメンナサイ)

 しかし、さすがに良心が耐え切れず、じきにやらなくなりました。

 ご本人が考えるような効果や意味のないことを説明し、
注射、点滴をやらないで帰っていただくということにしました。

 この、説明が時間がかかり、わかっていただくのが大変なんすけどねー。
ホントに、点滴したほうが、楽で、儲かるんです。


 大体、世の中に「風邪の注射」なんてもんはありません。
栄養なんて、末梢の血管からはいくらも入りません。
ビタミン剤、ブドウ糖、効果がないわけではありませんが、
口から食べられてれば、まず意味がありません。
風邪に抗生剤の点滴なんて、もってのほかです。


 もちろん、扁桃周囲炎なんかで、当院で点滴する方はいますが、
それは風邪ではない特殊な例です。


 元気がでる注射なんて、それこそヤバイでしょう。
ステロイド?、向精神薬?、それとも覚せい剤、ヒロポンですか?


 ともかく、風邪の一番いい、というか唯一の薬は自分の体の「免疫」です。
体の防衛反応の、抗体や、白血球の働き。
それを、最大限に発揮してもらうために、暖かくして寝ることです。


 でも、結構意味のない点滴を(それも保険で)やってる医者がいるんだなー。
院外処方みたいに、点滴した薬の内容を紙に書いて患者さんに渡さなければいけない、
って仕組みにすればいいのでは?



 で、話は当初の「点滴パーラー」ですが、
人の無知と弱みにつけ込んだ、あざとい商売だと思います。
集団感染かなんか、起こんなきゃいいんですが・・・。

 「水商売」なんていうと、水商売の人に失礼ですね。
スナックでは、ちゃんと入れたボトルの銘柄は(ともちろんその値段と効能?も)
お客さんがわかってるわけですから。



 でも、そもそも常識的に考えて、金払って肩こり治したいのなら、
マッサージ行くのがいいに決まってんじゃん。

新監督(?)の前で

 残り3試合、首位との勝ち点差1の大事な試合。

 こんな大事な試合のときに、結婚式を入れた堀越君はバカヤロウだと思ったが、
この結果では、埼スタに行かずに良かった、か。


 2008年J1第32節
  浦和レッズ  1-2  清水エスパルス   (埼玉スタジアム2002)
     (前半  0-1)
     (後半  1-1)



 俺が行かなかったから、とか、今日はレッズ・ナビのある日だから、とかいう話はもういいや。

 結婚式から帰って、ビデオでみました。
お酒入ってて、良かったです。
堀越君、いい日に結婚式入れてくれてありがとう。

 

 この大一番、ゲルトの場当たり采配は、またびっくり。
っていうか、もう解任もほぼ確定でみんなのウラをかくことしか狙ってないか、っといった感じすらする。
まあ、ゲルトの中には、いまや全く具体的な戦術のイメージは無いんだろうなー。
太平洋戦争末期の、日本軍の無謀な作戦の数々を彷彿とさせる。
ガダルカナルとか、アッツ・キスカとか、レイテ海戦のような・・・。
(次は片道分の燃料で沖縄特攻か?万博で『マリアナの七面鳥撃ち(注)』はカンベンしてね。)



 相馬の左ウイングは悪くない。気持ちはわかる。
しかし、達也のワントップは・・・。
達也はワントップでなく、エジミウソンなんかをトップでポストにおいて、その脇から飛び出すか、
セルヒオか高原と組ませて2トップのワンツーから裏へ出る、という方が効果的だ。

 細貝のサイドバックはいかにも不慣れな感じがしたし、平川の左サイドバックもしかり。
4バックなら、右に山田、左に堤で、どうよ。
どうしても闘莉王をボランチで使いたいのなら中を阿部と堀之内にして、
ボランチは闘莉王と細貝を組ませる。
啓太は、どうもパフォーマンスが上がらないので・・・。
坪井も一時完全復活かと思ったら、最近また危なっかしいしなー。
そもそも、清水なら3バックのほうが良かったかも・・・。


 ここで、ウダウダいっても始まらない。


 新潟、愛媛、札幌あたりには何とかなっても、
やはり中堅以上のチームには通用しないということだ。


 鹿島も名古屋も川崎も勝った。
タイトルをとった、大分、大阪は負けた。


 何とかACL圏内は・・・。
しかし、今のチームの勢いを考えると、勝ち残れる気があまりしない。


 でも、残り2試合、勝ち点差4ってのは、昨年の浦和と鹿島のちょうど逆なんですけど・・・・。




(注)「マリアナの七面鳥撃ち」とは太平洋戦争末期のマリアナ沖海戦で
日本海軍機が、アメリカ軍機に滅多打ちにされたことをさす。
この敗戦で日本は新鋭空母「大鳳」をはじめ、多くの航空兵力を失い、
以後実質的に、機動作戦が取れなくなる。
当時、日本のベテランパイロットはすでにその多くが戦死してしまって、
練成度が極めて低く経験の少ない若年パイロットしかいなかったのだ。
零戦は確かに開戦当初、非常にすぐれた戦闘機だったが、
それに甘えて、新型機を開発しなかったこと、
航空戦略、作戦を見直さなかったことが、この敗戦、ひいては戦争そのものの敗北につながった。
戦術の稚拙さ、補強の失敗、
・・・ま、フロントの責任だな。)


ご結婚、おめでとうございます。

 昨日は、当院でお世話になってる薬の卸の堀越君の結婚式でした。

 場所は佐野のマリアージュ。披露宴は50人ほどのアットホームな雰囲気でした。

 30代半ばにして奇跡の(?)逆転結婚を決めた堀越君は
終始ニヤケと緊張の混じった微妙な表情。


 お約束のケーキカットです。
しかしこのあとに・・・・。
PB230055_ks.jpg


 カットしたケーキをお互いが口に入れて食べさせてあげる、という演出でしたが
なんと堀越君、新婦にメガネにケーキをつけられてしまう・・・。(もちろん故意に!)
やってくれるぜ!
PB230057_ks.jpg
 でも、うれしそうです。

 さて、一回目のお色直しのあとに登場した新婦の衣装にびっくり!
何と、ナーススタイルでした。
PB230063_ks.jpg
 実は本職の看護婦さんですから、似合うのは当たり前ですが、
これが、大うけ!
いやー、可愛い、白衣の天使って言葉は、まだ死語ではなかった!



 そして、次はカクテルドレスで、キャンドルサービスです。
我々のテーブル。ローソクの芯を曲げて、つきにくくしたのは、誰だ?
(答え:私のトナリにいたKという薬剤師です。)
PB230076_ks.jpg


 私もスピーチの他、薬局の小峰君と一緒にビートルズの曲を演奏させてもらいました。
(飲みすぎて、トチッちゃいました。スイマセン。だって、出番があんなに最後の方だったので・・・・。)



 私の大キライな、新郎新婦にあったこともない政治家や、親の知り合いの会社重役の挨拶
なんてのはもちろん全く無く、
出席したみんなが2人を祝福するっていう雰囲気に満ち溢れた、
とても素敵な結婚式でした。


 それもこれも、堀越君の素直で誠実な、みんなに愛されるキャラクターの賜物だと思います。

 一君、(はーちゃんと呼ばれてるらしい・・・。)裕子さん、どうぞ末永くお幸せに。



 最後に2次会でのサービスショットを、どうぞ・・・。
PB230088_ks.jpg

ロックな高校生リターンズ(あとがきにかえて)

 ロックな高校生リターンズ、調子に乗ってまた長編を書いちゃいました。

 前回の本編は、いつか書きたい、と思っていたネタだったので、
一気呵成に書いちゃいましたが、今回のは前回の反響を受けて書いたもので、
ネタの盛り上がりに、苦労しました。

 「ロッキー」や「バック・トゥ・ザ・フューチャー」や古くは「猿の惑星」など、2や続編が作られたものは
第1作を越えることができないというのは、映画界の常識です。
(個人的にはインディ・ジョーンズに関しては2が一番面白いと思ってます。
ゴジラはもちろん1954年の第1作が最高だが、寅さんシリーズは、どうなんだろう?)


 今回も、そこが一番気がかりでした。
「リターンズ」ではO君の失恋話もないし・・・。

 まあ、大学受験というプレッシャーとバンド活動のですごした、
受験生時代を懐かしく思い出しながら書いてみました。

 大学受験は確かに大変でしたが、今思い出すとそれなりに充実した日々でした。



 さて、その後のロックな高校生ですが、
ギターのE、ベースのO、ドラムのI はめでたく現役で東京の大学に入り、
最初はそれぞれのサークルでバンド活動をしたそうですが、
しかし、後に再び集まって、また、バンド活動を一緒にやったそうです。

 ヤマハのコンテストなんかにも応募し、結構いいセンいったようです。


 一方、私は・・・・・・・。


 学園祭終了後、心を入れ替えて(?)猛勉強し、
一時はまぐれ(?)で校内実力テストで一回だけ学年1位を取り、
担任のネックレスもも3者面談で、「まあ、志望校はこのままで受かるんじゃないの。」
なんて、おふくろに言ってたのだが、
やっぱまぐれだったようで、一期校も二期校もスカッと落ちて、花の浪人生活に入りました(涙)。


 この辺の経緯は、後日機会があれば、また小説にしたいと思います。


 また、最終話で登場したヒロイン、Fちゃんですが、
その後、何と向こうから連絡があり、
なんかデートみたいなこともしたような記憶があります。(おおー、やるじゃん、オレ。)
今は、どこで、どうされてるんでしょうか・・・。
きっと、幸せな御家庭を築かれてることと思います。



 最終話で、まだ、将来のイメージなんて全然出来ない、みたいなことを書きましたが、
医者はともかく、まさか、いまだにバンドでしかもパンク・ロックやってるとはねー。
オレ、来年、50っすよ。


 かのアインシュタインの言葉に
「その人の常識とは18歳までに集めた偏見のコレクションのことである。」
というのがあったが、なるほどー、と思いましたねー。

 私の、常識は、中学~高校時代に集めたロックな考え方に支配されてる。

 もう、この年になったら、ナカナカこれは変わりません。
私としては、自分のコレクションに自信を持ってるんですが、
ちょっと、変わったコレクションかもしれません。



 今回、読んでいただいた皆様、どうもありがとうございました。
また、コメントを入れてくださった皆様、とてもうれしかったです。
(特にT君の件はびっくりでした。)
今後とも多くの皆様にご意見、ご感想などお寄せいただけると、たいへん励みになります。
遠慮なく、書き込みしてください。
でも、「エッチなバイトでなんたら」、ってのはダメよー。


ロックな高校生リターンズ(最終話)

 さて、いよいよ学園祭当日。

 我々は、もちろん体育館ステージの一番お客が来そうな時間帯をキープした。
ここら辺は、3年生の特権だ。
なんせ、3年にもなって出てるバンドはウチらだけだ。

 我が3年5組は、クラス企画として、お化け屋敷「物怪館(もののけやかた)」をやっており、
これが好評を博していた。
私も、バンド準備とお化け屋敷とあっち行ったり、こっち行ったりで大忙し。

 話はややそれるが、足利高校は男子校。
先生も女性は音楽のオバサン先生のみ。
しかし、事務に、高校を出たばかりの若いSさんという女性がいた。
お化け屋敷の、杮(こけら)落としとして、ぜひ、このSさんを第1号にしよう、という意見が出てすぐ可決された。
で、彼女を連れてきたわけだが、ここで誰がエスコート役をするか、ということで小競り合いがあった。
すると、担任の数学教師のネックレス(この先生は太ってて首がないので、こう呼ばれていた)が、あっさり彼女を連れて入ってしまった。
 がっかりした我々は今度は嫌いな先生を呼んできて、お化け屋敷に入ってもらい、
暗闇に乗じてコンニャクをぶつけたりしてうさを晴らしていた。

(しかし、後にこのSさんが、あのインドネシアと結婚したと聞いてビックリ!
へー、そーだったのかー。)



 さて、体育館のステージが始まった。

 最初のバンドは1年生のナントカというバンド。
うわっ、ひどい演奏だ。なんかのコピーらしいが原曲が何かも判然としない。
おまけに、最後まで演奏できず、途中でとまってしまい
バンドのメンバーがお互いの顔を見あわせるというシーンが何度もあった。

 次のバンドも1年生。
ギターはギャンギャン弾くが、リズムがめちゃくちゃ、ボーカルは全然聞こえない。
キッスの曲、かなあ。ドラムもヒドイ。

 2年生のバンド、おっ、そのイントロは「天国への階段」、演奏できんのか?
あーあ、やっぱり途中で止まってしまった。
何、もう一回はじめからやります?やめとけ、やめとけ。
お、しぶとく、また最初からやり出した。
大体、ギタリスト、アコースティックギターだけど途中からどうすんの?
瞬間的にエレキに持ち替えるのか?そりゃ、いくらなんでも無理だろう。
と、思っていたらジャカジャーン、のところで、終わり、
初めからこういう予定だったらしい。
そんな、「天国への階段」ありか?
「天国の手前の中2階までの階段」か?


 それにしても、どのバンドも1~2ヶ月前にはじめたばかりで
人前で演奏するのは、これが初めて、っていう感じのバンドばかりだ。
これじゃあ、オーディションは拒否するわけだ。


 さて、こんなバンド見ててもしょうがない。
 「俺、ちょっとほか見てくるね。」
といって、ほかの演奏会場の様子を偵察に行った。

 まず、校庭組。
お、やってる、やってる。
うーん、見方によってはストリートミュージシャン風といえないこともないが
素直なイメージとしてはチンドン屋だなー。
お客さんは通過してるけど、聴いてる人はいない。


 次に、屋上に上ってみた。
ありゃまー。ここは、さらに悲惨じゃ。
演奏者以外、誰もいない。
そりゃそうだ、わざわざ屋上まで上って、演奏聴こうなんて物好きは、まずいるまい。
ここじゃなくて、よかった。
(一説によると、現CRPの土井先生は当時、足高の1年生、ナントこの屋上で演奏してたらしい。)



 さて、そろそろ体育館に戻ろうと、階段を2段飛ばしで下りていくと、突然、声をかけられた。

「あら、オグラ君。久しぶり。」
「え、あれ、Fちゃん、もしかして。」
なんと、中学時代の同級生のFちゃんだった。
確か、彼女は宇都宮の高校に行ったんでは。
会うのは、卒業以来だから、ほぼ3年ぶり。

 それにしても、雰囲気変わったなー、っていうか美人になったなー。
「あ、このあと3時過ぎからさ、体育館で俺たちのバンドのライブがあるんで、良かったら来ない?」
「あ、行く、行く。」
「じゃあ、よろしく。」


 そうかーFちゃんかー。なんか俄然、やる気出てきたぞー。


 そして、我々「アースバウンド」のステージが始まった。
そしてまた、これが我々「アースバウンド」の最後のステージだろう。
3月になれば、メンバーはばらばらになり
バンドももう、まず間違いなく一緒に演奏することはない。



 最初は、「スペース・トラッキン」、そして「ストレンジ・カインド・オブ・ウーマン」を演奏し、
このライブの前に俺が作ったオリジナル「トゥ・ザ・ワンダーワールド」に続く。
(曲なんか作ってるヒマがあったら勉強しろって。)

 午後の体育館のステージは市民会館のときと違って
照明もないし、客席も明るいし、音響も全然だが、
その分、リラックスして、楽しく演奏できた。

 やっぱ、メンバーを説得して学園祭に演奏してよかった。


 ここんとこずっと頭の中を占めていた、
微分方程式も、複雑な分詞構文も、キルヒホッフの法則も、紫式部も
そしてこの間の模試の志望校の合格判定パーセントも
とりあえず、みーんな頭から出て行ってもらって、気持ちよくロック・アンド・ロールできた。

 そして、最後はロック・ボックスでも最後に演奏した俺たちのオリジナル、「オールド・キャッスル・イン・マイ・ハート」。
そして、この曲が、「アースバウンド」として演奏する最後の曲。

オレのロックな高校生活もこれで終わりじゃー。

 思い出すなー。

 初めて、Oに誘われてバンドの練習場に行った時のこと。
ロック・バンドって、こんなに大きな音出すんだー。
それまでフォーク・ギターしか弾いてなかったから・・・。
耳はジンジンしたけど、心臓はもっとドキドキした。

 他の高校のバンド4組と、織物会館を借りてやった最初のコンサート。
100円のチケットを売りまくったが、当日、会場はタバコの煙でもうもう。
他のバンドが、いわゆるツッパリ系(これも死語か?)だったので、
会場は大荒れ、ステージは傘まで飛んできた。
以後、織物会館はライブ禁止になったという。

 そして、女子高の文化祭に飛び入り(?)したこと。
女子高で演奏するなんて、結構レアな経験だよなー。

 なんといっても、ロック・ボックス。
応募から、当選、練習場の確保、親父の急死、
市民会館の大ホールは、感動した。


 やっぱり、ロックを聴いていて、やっていて良かった。
ロックのおかげで、いろんな面白いことや、珍しい経験もしたし、
いい仲間や、変な大人にも会った。
そして、落ち込んだり、ヘビーな時にもロックで元気になる。

 親父の通夜の時、お経のあと1階で飲み食いしてる親戚や隣組の人たちの席を離れ、
2階の自分の部屋でラジカセで小さい音で一人でローリング・ストーンズを聴いてた。



 オレの高校3年間はいろんな場面でロックなしでは語れない。



 ・・・・・そして、アースバウンド最後の演奏が終わった。
 全員で客席にお辞儀をした後も、最後のコード、Amの余韻がいつまでも耳の中で反響していた。




 楽器を片付けて、外に出ると、西に陽の傾いた校庭でFちゃんが待っていた。
秋の陽が暮れるのは、早い。

「オグラ君、見たよ、カッコよかったじゃん。」
「ええー、そう?そりゃ、良かった。」
「オグラ君、やっぱり医学部行くんでしょ。」
「うん、でも今のままじゃちとキビシイかも。(頭から追い出してた、模試の合格パーセントが戻ってきた。)」
「大丈夫だよ、オグラ君、アタマいいから。がんばって。」
「おお、サンキュー。」

 おー、なんか、オレ、バンド始めてから、初めて女の子にカッコいいって言われたなー。
(いや、ただ単に外交辞令でしょうけど・・・。)
大学行ったら、バンドやって、女の子にもてるぞー。(希望、願望、妄想、憶測・・・)

・・・しかし、入れんの?
  うっ、そこだ。
  今のままでは、「ちと」どころか「かなり」キビシイのでは・・・。


 明日から、猛勉強だー。
でも、やっぱロックは聴いていよう。


 まだ、将来の自分などほとんどイメージできない、18の秋だった。


 「おーい、オグラ。打ち上げのファイアー・ストーム、始まるぞー。準備手伝えー。」
「おー、わかったわかった。」




 みんなで、大騒ぎした夢のような学園祭が終わった。
 そしてそれは、夢のようなロックな高校生活の終わりでもあった。
 ファイア・ストームの薪に火がつくと、
 少しだけまだ西の空に残っていた明るさも、あっという間に夜の闇になった。


 みんなの歓声の中、
 数え切れない思い出が、
 火の粉や煙とともに晩秋の冷えた夜空に吸い込まれていった。


          ~ロックな高校生リターンズ・完~



 さて、これでロックな高校時代の話はおしまい。

長らくのご愛読ありがとうございました。



ロックな高校生リターンズ(第9話)

 ・・・ヤベエな、第1志望D判定だよ。
先日の模試の結果がかえって来た。

「判定D:志望校の変更が望ましい。」

 うーん、キビシイ。
英語、数学、物理、現国はまずまずなんだが、
化学と社会、あとなんといっても古典が
足を引っ張ってる。 

 「いずれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひたまひけるを・・・」
ったく、源氏物語なんてどこがおもしれーんだか。

 そもそも、志望校変更ったって、国立の医学部なんてどこ書いてもD判定だよ。
なんだってこんな合格圏偏差値が高いんだ。
変更して、合格率上がるなら、どこでも変更するさ。
でも、オヤジが死んで、ウチの経済状況では、国立以外は受かったって行けるわけないし、
やっぱ、何とか医学部行きたいし。
日本育英会の奨学金の面接は通ったけど、肝心の大学に入れなきゃ意味ねーよなー。


「おい、オグラ、模試どうだった?」
前の席のOが、わざわざ振り返って訊きやがる。
「うーん、あやしうこそものぐるおしけれ、といったところだな。」
「・・・・何だそりゃ。」

 「それはそうと、オグラさ、『大島式英単語』、知ってる?」
「なんだよ、オレ、オマエに教わった『試験に出る英単語』使ってるぜ。
最近あんまり進んでないけど。」
「いや、この本さ、面白いぜ、英単語をダジャレで覚えんのよ。」
「相変わらずオメエは受験オタクだなー。なになに、えーと
『Anniversary{アニバーサリー}:(意)記念日(暗記法)兄がバッサリ切られた記念日』
兄がバッサリでアニバーサリーだとー、なんじゃこりゃー。」
「な、覚えやすいだろ。」
「ちょっとこりゃ、邪道じゃねえか?」

・・・・しかしそれ以来35年、Anniversaryという単語に出会うたびに、兄がバッサリ・・・を思い出す。
やっぱ、暗記法としては正しかったのか?


「さ、そんなことより、学園祭実行委員会始まるぞ。」
「おー、行ってんべー、行ってんべー。」


 ・・・・・・

「はい、それでは2年6組の”足利の歴史遺産をたずねて”の企画は、このままでいいですね。」
「それでは、次に、有志による”バンド演奏”の企画に移りたいと思います。」

 足高祭の実行委員会である。
各参加クラス、サークル、団体の代表が出席している。

「さて、バンド演奏ですが、場所は体育館を予定していますが、バスケット部の親善試合もありますので、使用時間は2日目のみとなります。」

 我々は全員で来ていた。
「ったくもー、いーじゃん、どうせウチのバスケ部、弱ええんだから。」
「まあ、あっちは正規の部活だから、そうもいくめえ。顧問のコンドーも強えしな。」
バスケ部の顧問、体育教官のコンドーは、怖かった。


 「えー、参加希望バンドが20バンド以上提出されています。
時間的に、すべてのバンドが演奏することが難しいですが、どうしましょうか。
抽選、くじ引きで決めるという方法もありますが・・・。」
「何か、ご意見、ご提案はありますか。」


 ・・・じょーだんじゃねえ、俺たちがくじ引きで落とされてたまるか。
ここはオレがナントカせねば。

 「議長、はい、はーい。」

 「はい、どうぞ。」

 「えー、3年のオグラです。参加希望バンドが多いので、
オーディションをやって決めたらどうでしょうか。
実際に集まっての演奏が難しければ、テープ審査なら簡単にできると思いますが。」

 「えー、はい、オーディションをして参加バンドを絞るという意見が出ました。
さて、この提案に対し、何か意見がありますでしょうか。」

・・・教室はざわつくが、誰も、何も言わない。


 「では、この提案に対して、決を採りたいと思います。賛成の方は挙手をお願いします。」

 ハーイ、と手を上げたのは我々だけ・・・。

 「はい、それではこのご意見に反対の方。」

 みんなが、いっせいに手を挙げる。

 ・・・げっ、全員反対かよ。
さては、てめーら演奏に自信がねえな。


   しかし、全員反対とは・・・。


 まあ、それもこれも学園祭が3年に1回しかない、という学校のセコイ方針によるものだともいえる。
3年生のバンドは俺たちだけだが、
1、2年生だって、今回出なければ、もう次の学園祭は高校時代にはないわけだから。


 会議は紛糾して、結局その場では決まらず。


 しかし、その後1年生から、演奏できるなら、体育館でなくてもいい、
という希望が出て、結局、体育館、屋上、校庭、の3箇所に演奏場所を設けることで
すべてのバンドが参加できることになった。



この試合は見てないので、コメントできませんが

 今年、公式戦で唯一見てない試合。


 第88回天皇杯全日本選手権 第5回戦
 浦和レッズ  2-2  横浜Fマリノス   (丸亀競技場)
    (前半  1-2)
    (後半  1-0)
   (延長戦  0-0)
       PK 5-6



 犬飼会長は天皇杯をメンバーを落として戦った大分、千葉に制裁を加えるといった。
じゃあ、なぜレッズはスタメンを4人も抜いて戦う羽目になってるのか?
そして、そんなに権威のある大会が、なぜどこでもテレビ中継が無いのか?

 私はレッズの試合を見るために、BS、スカパー、ケーブルテレビ、あらゆるメディアと契約している。
もちろん全試合、録画してDVDに保存している。(かつてはビデオだったので大変だった。)


 天皇杯、全試合見られるようにしてください。(もちろん、レッズ戦だけでいいんですけど・・・。)


 かつて、私がガキのころ、メキシコ・オリンピック後しばらくは
日本サッカーリーグのテレビ中継があった。
(もちろん応援してたのは三菱重工、今に至るレッズ支持のルーツです。)

 しかし、その後サッカー人気の低下とともに、どんどん中継は減っていった。

 そんな中で、天皇杯の決勝だけは必ず放送されたので、毎年これだけはずっと見てました。

 だから、私の中ではかつては「天皇杯>>日本サッカーリーグ」という認識で
犬飼会長の言う「日本で最も権威ある大会」というのは素直に納得します。

 子供の頃から元旦に国立でサッカーを見るのはずっと夢だったから。
(その夢が一昨年、昨年と2回叶ったのだ。)

 やっぱテレビとかでもっと盛り上げてもらいたい。
4回戦は直接見に行けたが、まさかこの試合テレビ中継やらないとは・・・・。
犬飼会長は、まずメディアに働きかけねぼならないのでは。


 学会で東京に向かう途中の駅のホームで携帯で結果を見た・・・。
マリノス相手にPK負けかー・・・。
何となくチャンピオンシップでの埼玉スタジアムに一瞬タイムスリップした気がした。

 ・・・・・・リーグ戦に集中しましょう。


 さあ、元旦は明治神宮に行って、そのまま帰ってきます。

ロックな高校生リターンズ(第8話)

 「あ、そう、うん、じゃあいいんじゃないの。」
意外にも、インドネシアは我々の練習を快諾し、
日曜日に学校に来て鍵を開けてくれることになった。

・・・日曜日にヒマとは、こいつ彼女いないな。(大きなお世話だが。)



 そんなことで、練習場所の問題は解決したのだが、新たな問題が起こったのだった。



 「おい、オグラ、大変だよ、足高祭にとんでもない数のバンドが申請してるらしいぜ。」
 「5つや6つじゃないんだよ、1年生も2年生もバンドがいっぱい出来て20以上出てるらしいぜ。」
 「20以上!そんなにいっぱい体育館出らんねーよ。」
 「ともかく、今度の水曜に実行委員会があるから。」


 1976年から1977年にかけて、日本におけるいわゆる洋楽、ロックの状況は大きく変化した。
いわゆる”洋楽ブーム”の到来である。

 洋楽、特にロックは、テレビなどの一般メディアにのることはなく、
いわゆる一部のロックマニアのものだった。

 それが、クイーンの初来日(1975年)くらいから、
じわじわと一般の女の子のロック・ファンが増えてきたわけだ。
それまで、郷ひろみや西城秀樹を、追っかけていた、ミーハーファンが
ロックスターのルックスに注目するようになったのだ。

 さらに、その動きを加速させたのが「ベイシティ・ローラーズ」の登場である。
彼らの、戦略はターゲットが、完全に
”それまでロックを聴いたこともない女の子”たちだった。


 ベイ・シティ・ローラーズはイギリス、エジンバラ出身の「アイドル」ロック・グループで
日本でも、瞬く間に大人気になった。
日本の少女たちの目には、白馬に乗った王子様のように映ったのかもしれないが
よく見ると、ホームベースみたいな顔した奴とか、まゆ毛のつながってる奴とかいて
なんか、キミたちだまされてるぞ、って感じもしてた。

 そもそも、楽器もろくに弾けずにコンサートは口パクだし、
男のロックファンは、みんな毛嫌いしていたものだ。


 この点、もともとロックバンドとしてスタートしたが、ルックスの良さから
想定外の部分で人気が出た「クイーン」とは、360度違うといってもいいのだが
ほぼ、360度回っちゃったため、同じような扱いをされていた。


 ロック雑誌「ミュージック・ライフ」は、記録的に部数を伸ばし、新雑誌も次々創刊、
アイドル誌の「明星」や「平凡」も、毎号ロックスターが登場するようになって来た。
それに伴い、ヒットチャートに洋楽が入るようになり
いわゆる”お茶の間”に、ロックが進出するようになったのだ。


 ロック人口が飛躍的に増大し、最初はヒット曲から入ったファンの中にも
次第に本物のロックを聴くヒトも増えてきた。
 「キッス」や「エアロスミス」、「チープ・トリック」などの新しい本格的ロックバンドも
人気を上げるようになった。
(ただバンドにルックスのいいメンバーが2人以上いる、ってのがウケル条件だったが・・・。
いくら、ロックの人気が出てもニール・ヤングが「明星」のグラビアを飾ることは無い・・・。)


 そして若者の間では、エレキギターを手にすることは、かつてのフォークギターなみに一般化して、
「じゃあ、学園祭で、やってみるか。」
なんて、にわかバンドが、雨後のタケノコのように、この時期現れちゃったのである。

 わが足利高校も、それまではロックバンドなんか1学年に1~2組しかなかったはずだが、
それにしても20以上のノミネートはただ事ではない。
1バンド15分に限定しても交代時間なんかを含めて6時間以上もぶっ続けというわけにはいくまい。



 「まいったなー。20いくつもバンドあったんじゃ、収拾つかないぜ。」
 「ベイシティ・ローラーズが、いけねえんだ。あのくそバンドが。」

 「ロゼッタ・ストーンとかパット・マグリンとスコッティーズなんてのも最近あるらしいぜ。」
 「スコッティーズ?何だそら、ティッシュ・ペーパーか。」
 「でも、女の子に人気あるぜ。」
 「バカモノ、男は、ハード・ロックじゃ、パープル、ツェッペリンだ!」
 「そーだ、そーだ。」
 「そりゃそうだが、ともかく、この事態を何とかしないと・・・。」

ロックな高校生リターンズ(第7話)

 そんなわけで、8月のある日、我々はKレコードの前に集まった。

 Kレコードは楽器屋さん部門が今でもあるが、場所は、今の場所ではなく、
本町通、足銀足利支店の並びの(今は足銀も友愛ホールになっちゃったけど)
現在のラーメン屋、Y貴楼の建物だ。
(ここは今もバンドの打ち上げで3時過ぎまで足利の街を飲み歩くと
最後にシメのラーメンを食べに入るとこなので、ロックな場所なのだ。)

 「いや、今年の夏は、あっついなー。」
 「受験の年に猛暑ってついてねーな。」


 1977年の夏は、確かに暑かった。
夏目雅子の「Oh!クッキーフェイス」で幕を開け、キャンディーズは「暑中お見舞い申し上げます」
と歌っていたし、「勝手にしやがれ」は「渚のシンドバッド」を蹴落として1位にかえりざいていた。
王貞治は、9月に達成することになる756号の世界新記録に向かって着実にホームランを重ねていた。(はずだ。)


 さて、Kレコードのスタジオは、店舗の2階にあり、多分倉庫かなんかを改造したものだ。
ドラム、アンプ、PAなんかが、雑然と並べられており、とても狭かった。
今の貸スタジオみたいなしゃれた雰囲気はなく、
ダンボールなんかもつんである狭い階段廊下を通って行った。


 「Oの工場より相当せまいなー。」
 「でも冷房あるからいいよ、暑いから早くエアコン入れろー。」
 「よーし、久々にいっちょやるか。」
 「スペース・トラッキンから行こうぜ。」

 ジャジャッ、チッ、チッ、チッ、ジャッジャッジャッ、ジャージャージャジャッ・・・
 おー、いい感じ、さてボーカルだ。
「We have o lot of lack in Venas~」
と歌いだしたとたん、急に音が切れた。

 「あれ、停電?」
 「別に、昼間だし、カミナリも鳴ってなかったぜ。」
 「おい、ちょっとO、お店の人に訊いてこい。」
 「わかった。」
 と、お店に下りていくO。


 「しっかし、エアコン切れると暑いなー。」
 「窓もねえしなー。」


 少しして、店員さんを連れてOが戻ってきた。
「あー、やっぱりダメかー、まいったなー。」
 「何なんですか。」
「いやー、ここんとこ暑いだろ。このエアコン結構電気食うのよ。
だから、アンプ、PA、キーボードまで全部使うとブレーカーがおっこっちゃうんだよねー。」
 「えー?!」
「だからさ、君たちさ、演奏中は、送風にしといてアンプ切ってから冷房にしてくれるー。
ウチのアンプ、チューブだから電気食うからさ。」
 そ、そんなー、殺生なー。
「じゃあ、そういうことで、がんばって、ごめんねー。」
と、店員さんは降りていってしまった。


 「おい、どうするよ。」
 「どうするったって、4時間分まとめて前金で払っちゃったし。」
 「やっぱ、練習しなくちゃなんないでしょ。」
 「しっかし、冷房なしだぜー、この真夏の暑いのに。」
 「しかたねー、やるかー。」

 というわけで、5分間演奏しては、アンプを切って全員でエアコンの前に張り付いて
体を冷やし、また勇気を奮い立たせてまた演奏をする。
 でも、すぐ暑くなってきて、
「(おい、アドリブのギターソロいつまで弾いてんだよー、早く終わりにしろよー、)」
という気持ちになってしまう。
 まるで、ガマン大会のような練習に、集中が続かず、結局あまり成果が上がらなかった。


 「あー、暑かった、まいったなー。」
 「あと、練習、どうするか・・・。」
 「うーん、金かけてこれじゃあな。」
 「後、何回か練習しないと。」
 「そうだ、学園祭の練習なんだから、学校で出来ないかな。」
 「学校でー?」
 「日曜日の、空き教室とか音楽室使わせてもらえば・・・。」
 「そうだな、学校行事だからな。」
 「よし、インドネシアに頼んでみるか。」

 さて、どうなるか。

 

ロックな高校生リターンズ(第6話)

 7月になった。

「おい、期末テスト、どうだった。」
「いやー、円運動の角速度ωの扱いでトチっちゃって。」
「あー、オレ文系だから物理Ⅱやらなくてすんで良かった。それよりオグラ、イミテーションって単語知ってる?」
「イミテーション?~tionで終わるから名詞だな。すると動詞はイミテイト・・・、知らんなー。
出る単にあった?」
「ふふふ、模造品、まがい物という意味だ。」
「おー、できるなーO、さすがだなー。」
「実は今度の山口百恵の新曲が『イミテーション・ゴールド』ってんで、覚えたんだ。」
「なーんだ、でも入試に出るかも。」
「それは、どうかなー。それよりバンド練習しないとな。」

そうそう、練習しなければ。
 ロック・ボックス以降、バンドとしての練習は、全くしてない。

「で、どこでやる?」

 そうなのだ。
われわれがかつて、練習場所として使っていた、O君ちの工場あとは、
ロック・ボックスが終わるまで、という条件で、近所に頼んで回ったので、
いまさらそこを使うわけには行かない。

「やっぱ、スタジオ借りるか。」

 当時、足利にはKレコードのスタジオしかなかった。

 1階は、レコード、楽器を売っていて、スタジオは、その2階にあった。

「金かかるけど、しょうがないな。」
「いつやる?」
「夏休みの補習が終わったらだなー。」
「あ、俺、夏期講習で、東京行くよ。」
「ギターのEもどっか行くらしいぜ。」

 何だ、みんな足利にいねーのかよ。


 そういや、俺も去年は東京の予備校に夏期講習に行ったっけ。
そもそも、ベースのOと一緒に行ったんだった。


 ・・・記憶は、ちょうど1年前にさかのぼる。高校2年、期末試験の近づくある日・・・

 俺の席の後ろのO崎が
「おい、オグラ、夏期講習どこ行くの?」
と、たずねて来た。
「カキコーシュー?おお、夏期講習、いや、別に。」
「何、行かねーの、俺、代々木ゼミだぜ。」
O崎は、俺と同じ国立理系だが成績がいつも俺のちょっとだけ上なので、やつが夏期講習となると、何か負けたくない。
(こやつは結局東工大に入った)
うーん、代々木ゼミナールか、有名だ。聞いたことあるぞ。
あわてて、そのまた後ろのO合に訊いてみる。こいつは国立文系で一橋大にいったやつだ。
「おい、O合、お前は夏期講習、行くの?」
「行くさ、駿台だよ。予備校としては最高だな。」
 その頃、受験オンチの私は、「駿台」の名前すら知らなかった。
(実はその後、大変お世話になっちゃうんだが・・・。)
「いや、俺も行きたいよ、夏期講習。どうすりゃいいの。」
「あのなー、今もう6月末だぜ、夏期講習なんかどこも締め切りだよ。
駿台なんか5月中に締め切ってるよ。」
「5月中にー?夏期講習をー?」


 あせった私は、前の席のO(あー名簿順だからイニシャルOばっかでわかりにくい、要するに
バンドメンバーのベースのOだ。)の、背中をつっつく。
「おい、お前、夏期講習は。」
「いや、俺はまだ申し込んでないよ。」
「(あー、よかった)もう、どこも締め切りかなあ。」
「でも、探してみよう、なんかあったら一緒に行こう。」

 てなことで、Oが探してきたのは「代々木学院」という、
名前からして、いかにもパチモンみたいな3流予備校だった。

 行くには行ったが授業も、学生もレベルが低かったので、ほとんどためにならなかった。
良かったことといえば、2週間の東京暮らしで、こっそり成人映画を見に行ったことくらいだ。
(何せ、当時はビデオなんか無かったし、っておいおい。
そーいや、成人映画とか、ピンク映画って死語だなー。)


 ともかく、3年生の夏は、駿台行くぞー、と、思ったものだ。


 ところが2年生の秋、親父が急に死んだため、
夏期講習で東京の予備校に行く、なんて経済的な余裕は我が家にはなくなっちゃったわけだ。
そこで夏休みは、学校の補習以外は(クーラーもない)自宅で勉強、ということになっていた。




 ・・・で、話は3年生の時点に戻る。

 「じゃあ、日を決めて、集中的に練習しよう。」
みんなの夏期講習が、微妙にずれてるので、夏休みのある日を、集中練習日に決めて
スタジオを、4時間ぶっ通しで借りて、練習することにした。


 「よし、それではそれまで個人練習ってことで。」
 「よーし、スペース・トラッキンの歌詞、覚えなきゃ。
  試験に出そうな、重要単語が入ってるといいんだけどなー。」
 「スタジオにこもる、か。なんかカッコいいぞ。」



 しかし、実は、これが、悲惨な結果を招くのである。

ロックな高校生リターンズ(第5話)

 企画書を作って、3人で職員室のF先生をたずねた。

「ロックやフォークなど、ポピュラー音楽に親しんで学生間の、交流や親睦を深める」
・・・実際、何て書いたかは覚えてないが、ロック・コンサートを認めてもらうために、
まあ、適当に文句をでっち上げて、それらしい、企画書を作成したわけだ。

 「まあ、そんなわけで、F先生にひとつ顧問として、お名前を、貸して頂きたいわけです。」

 しばらく、黙ってその企画書を繰り返し、読んでたF先生。
おもむろに顔を上げて、我々の顔を眺め渡したあと、口を開いた。
「じゃあ、君たちはゴーゴーみたいなことがやりたいわけ?」
「・・・!?」
「だからー、ゴーゴーパーティーみたいなのをするのかな?」
「・・・え、ゴーゴー、・・・ですか?・・・いやー、ゴーゴーって・・・。」

 こいつ、何歳だ?そもそも今、昭和何年だ?


 確かに昭和40年前後、ベンチャーズなんかのいわゆる”エレキ”の音楽に合わせて
踊るような、「ゴーゴー」っていうのがあって、「ゴーゴー喫茶」なんてのもあったらしい。
しかし、その当時昭和53年頃にあっては、ゴーゴーなんてすでに完全な「死語」だった。

 うーん、やはり氏家高校だ。こいつに頼んだのは間違いだったかも。
しかし、こいつ東京で4年間、一体どんな暮ししてたんだ?


「いやあの、ロックのコンサートで、みんな聞いていただくわけで、
踊る人は、絶対いないとはいえないけど、多分みんな聴いてるだけだと思います。」
「別にただの、コンサートなので、風紀上問題になるようなことはありません。」
「いや、先生にはお名前をお貸しいただくだけで、
そのほか、一切ご迷惑をおかけするようなことはありませんから。」

 どうも、気軽に引き受けて、何かあとで自分に責任がかかることになると困る、という
態度が見え隠れしたので、我々は口々に訴えた。



 そして、あれこれ説得して、何とか企画書にハンコをもらうことに成功したのだった。


「いやー、しかし、あの態度、やっぱ、あいつも小物だな。」
「しょせん、大人なんかあんなもんだよ。」
「それにしても、”ゴーゴー”にはまいった、一瞬何のコトかわかんなかったぜ。」
「オレもだよ。びっくりしたよ。」
「今どきゴーゴーはねえよなー。」
「でも、これで、コンサート出来るな、良かった、良かった。」


 ところが、事はそう簡単には運ばなかったのだ。

セル、セル、セル!

 すでに降格、最下位が決定した札幌。
あー、札幌のアウェイ・ゲーム行きたかったなー。
実は、J2時代も一回も行っていない。(そーいや、J2ん時は一回も勝てなかったなー。)
1年で、J1に帰って来てね。
今度は、石狩ナベ食いに行くから。


 2008年J1第31節 

  コンサドーレ札幌   1-2  浦和レッズ  (札幌ドーム)
         (前半  1-1)
         (後半  0-1)



 などと、悠長なことを言ってる場合ではない。
もう、全勝しか許されない残り4試合だ。

 さて、フォーメーションをみてびっくり。
セルがスタメン!4バック!!

 先日の愛媛戦の勝ったあとのブーイングは賛否両論だが、
あの場にいた者としては、自然な感じだった。


 それが、効いたかどうだか、今日は選手の動きはいいようだ。
よくプレスが効いて、パス・スピードも速い。

 何よりも、セルヒオ!
今までの彼のプレーの中では間違いなく最高の出来。
ドリブル、パス、プレス、運動量、体キレてるぞ。
細貝が抜けてパワーダウンが懸念された中盤を、見事に活性化してる。

 達也も、闘莉王のボランチも機能していた。



 ただ、問題点は依然多い。

 札幌はこれしかないとわかっていながら、ダヴィのカウンターにやられるってのはお粗末すぎ。
エジミウソンの、決定力不足も相変わらず。
4バックにしても、相手が札幌だったから何とかなったようなもので、
組織的に攻撃してくるチーム相手では、かなりの不安。


 しかし、勝つことによってチームのムードが良くなり、
歯車がいいほうに回りだす、ということはある。
新潟、愛媛、札幌と、格下のチームといいスパーリングをこなし、
3連勝したことで、最後の正念場、清水、ガンバ、横浜と力のあるチームとの終盤戦を勝ち抜けるか。 

 そして、そして何と今節、名古屋、川崎、ガンバが負け、鹿島、大分が引き分けたので
単独2位、首位との勝ち点差「1」という、予想だにしなかった状況になった。

 ガンバはここはACL優勝してもらって、もうごちそうさま、ってことで失速して欲しい。
清水も、もうACL圏内はないから、勝ち点なくてもいいでしょ。
マリノスも残留決まれば、もういいよね。

 キイプレーヤーは、細貝、相馬、達也、永井だと思ってるんだが、
ここに来てセルヒオにもグーンと期待が高まった。
あとは、ポンテのコンディション・アップと闘莉王のフィジカル、メンタルだ。

 あー、代表戦、よけいだなー。
マリノスとの天皇杯もあるのか。これは勝っといてもらわんと。


 最終節で鹿島が札幌に負けて、昨年のウチみたいになる(涙)事だって、
絶対ない、とはいえないよねー。
 

ロックな高校生リターンズ(第4話)



「・・・このように『寺田の鉄則』を用いれば、かんたんです。では、諸君、がんばって勉強してください。」
「以上で、旺文社ラジオ講座、寺田ブンコー先生の数学Ⅰを終わります。」

うーん、また解き方間違っちゃった。数Ⅰも受験問題になると結構ムズカシーなー。

 ・・・と、言ってるうちに
「セーイ、ヤァーン」
と、セイ・ヤングが始まってしまう。
「ジャン、ジャーン、チャカポコチャカポコ・・・よーあけがー来る前にー・・・」
あー、バンドもやりてー。

 と、いきなりギターを持って弾いてみたりする。
もちろん深夜なんでアンプにはつながないから、ペンペンペンてな感じなんだけど・・・。



 今はまだ6月だが、足高祭が行われるのは11月、
受験生にとってはもう、追い込みをかけ始めるころだ。
特に、我々の世代はいわゆる旧制度、国立1期校、2期校の最後の年に当たり
翌年から共通1次試験(現在のセンター試験の前身)が始まることが決まっていた。

 浪人すると制度が変わって大変なので、
そのために、何とか現役で大学にもぐりこもうと、受験戦争は過熱していた。



 同じ5組のベースのOに、まず話を持ちかける。
なんせ、こいつとは席が前後だ。
「いや、だからEの奴は、もうギター閉まっちゃって、入試終わるまで弾かないって言ってるぜ。」
「でもさ、高校生活で一回きりの学園祭じゃん。バンドやろうよ。お前はどうなんだよ。」
「いや、俺は、どうしてもだめってことはないけど・・・。」
「よし、じゃあ、2人でEを説得しよう。」
「あ、ああ・・・。」

 というわけで、まず押しに弱いOを丸め込み、二人で何とかEも説得し、ドラムの I にもOKがとれて、
学園祭出るってことで、話がまとまった。
意外と、かんたんだった。


 「まずは、企画書と顧問だな。職員会議通すには、顧問を立てないと。」
「顧問たって、先生でロックわかる奴なんかいねーぜ。」
「あ、あいつどう、英語のインドニージャン。」
「あーインドニーチャンかー、なるほど・・・。」

 インドニージャン(またはインドニーチャン、インドネシアともいう)ことF先生は
今年、大学を卒業して赴任した英語の教師だ。
挨拶のとき、出身大学が東京外語大ということで、
生徒はいっせいに色めき立った。
何せ進学校の生徒は、大学のブランドに弱い。
ところが、外語大だが学科は英語科ではなく何とインドネシア語科ということがわかって、一気にテンションが下がった。
(自分たちは、決してそんなこと言える身分じゃないくせに・・・)


それで、ニックネームでインドネシアまたはインドニージャン(インドネシア語、インドネシア人の意)
と呼ばれるようになったのだ。

 新任の若い先生なので、
「僕と一緒に勉強しようっ。」
みたいな青春ドラマ的なノリ(錯覚?)があって、
しきりに、「僕は若いから君たちの気持ちがよくわかるんだ、」という雰囲気を作ろうとしていた。

 ビートルズの歌詞を、教材に取り上げたり、
FENやポピュラーミュージックのことを話題にしたり、それなりに努力していたが
俺たち高校生に言わせると、
「20歳過ぎてて、しかもネクタイなんかしてる奴は、みんな向こう側の人間だ。だまされちゃいけねえ。」
みたいな意識があり、あまり信用してなかった。


 あるとき授業で
「これは”not~but”の構文だねっ。
ほら、君たち、スタイリスティックスの歌にあるだろ、
”I can't give you enything but my love”.この”but”の使い方だよ。
スタイリスティックス、知らないかなあ、あの女性ボーカルの。」


・・・いや先生、スタイリスティックスくらいよーく知ってますけど
あのグループ、女性じゃなくて、男性がファルセット(裏声)で歌ってるんですけど。
と、いおうと思ったがやめといた。
 やっぱ、氏家高校じゃあ、そんなもんか、底が見えたな。と、思ったものだ。
(後に彼の出身高校は氏家高校だということが判明していた・・・。
いや、別に足高だって、相当イナカの高校なんすけどね)



 「・・・インドネシアかー、何となくビミョーだな、あいつ。」
 でも、ほかにこれといった候補もない、
「よし、じゃあ、企画書作ってインドニージャンのとこに行ってみっか。」


 さて、ともかく、学園祭ライブに向けて前進を開始した我々であった。

ロックな高校生リターンズ(第3話)

 
 さて、バンド活動からは遠ざかっていたが、ロックは相変わらず生活の一部だった。
受験生といえども、ロックなくしては暮らしていけない。

 主な情報ソースはFMラジオであったが、ロック好きの友人とレコードの貸し借りは良くやっていた。
特に、ロック・ボックスの時、ロンドンブーツを貸してくれたTは、ロックのレコードをいっぱい持っていた。
ロバート・プラントみたいにクルクルの長髪(当時ロン毛なんつー言葉はない)で、
おまけに茶色に染めていた。(茶髪っていう言葉もないよ、くどいようだけど。)
足高、校則ゆるいなー。

「おー、『エクソダス』、よかったよ。サンキュー。」
借りていたボブ・マーリーのレコードをTに返す。

CDと違ってLPは、でかいから持ち運びが大変。
学生カバン(ペチャンコでステッカーべたべただった)は、自転車の荷台に縛りつけ
レコードは前のかごに入れるのだが、斜めにしか入んなくて
片手で抑えて自転車こいでた。

「なあ、レゲエ、いいだろ。今度、サンタナも貸そうか?」
「いやー、サンタナはなー・・・。」
こいつはサンタナの大ファンだった。


「そりゃそうと、オグラ、足高祭、なんかやんの?」
「何かって・・・。」
「バンドだよ、バンド。」

 うーん、そこだ。
私が通ってた足利高校は、学園祭、体育祭、球技大会が3年周期でローテーションする。
つまり学園祭って3年に一回しかないのだ。
しかも、我々の学年の場合、3年生で学園祭が回ってくる。
1年生の時、体育祭で2年、3年の先輩にあれこれ言われ(縦割りのクラス対抗なのだ。)
花の2年生の時に、どーでもいい球技大会があり、
一番盛り上がる学園祭のときに、大学受験準備でろくに参加できない、って言う最低のめぐりあわせなのだ。


「それじゃあ、T、お前は、やんの?」
「いやー、俺とこのバンドは、だめだなー。
それより俺はレコード・コンサートをやる。題して『アフリカン・ミュージックを考える会』だ。」
「アメリカン・ミュージック?」
「アフリカン・ミュージックだよ、オグラ、やっぱロックのルーツは黒人だよ。アフリカだよ。
ボブ・マーレイ、サンタナ、アース・ウインド・アンド・ファイヤーだよ。
みんな、アフリカにルーツがあるんだよ。」
「うーん、オレはやっぱりブリティッシュ・ロック派だなー。」
「そっかー、でもサンタナいいぞー。
ライブ盤の『ロータスの伝説』な、1曲目なんて『瞑想』ってタイトルで1分間だまって瞑想してるから音楽、全然入ってないのよ。
すげーだろ。」

 どこがすげーかわからんが、ビデオならともかく音楽はいってないレコードつまんないだろーよ。
なんか損した気がするぞ。(もちろん、当時家庭用ビデオなんかないわけだが)

 俺なんか、レコード買うときに裏に書いてある演奏時間を合計して、
少しでも長い方を買ったりしたものだ。
セコイちゃあセコイが、レコードなんか、おいそれと買えない身分だった。
特に親父が死んでからは、小遣いは半減し、ロック雑誌等も買えなくなった。
LPなんか当時1枚2500円くらい。
今より高い!


 しかし、Tの奴はロックオタクだねー。
アースなんてその後有名になったけど、当時はまだまだマイナーだった。
アフリカン・ミュージックもその後、ピーター・ガブリエルやトーキング・ヘッズが
アフリカン・ビートを取り入れるのはこの話の3年後くらいだから
T君は先見の明があった、というわけだ。


 さて、それはともかく、やっぱ学園祭っつたらバンドだよなー。
高校生活で、唯一の学園祭、ここで演奏したいなー。
女の子も来るしなー。
いっちょ、メンバーに声かけてみっか。

ロックな高校生リターンズ(第2話)

 「おい、オグラ、傾向と対策、もうそろそろ出るぞ。」
「蛍光灯大作?なんじゃそら。」

 それにしても高3になって、ベースのOの奴は変わった。

 こないだまでは、口を開くと
「フェンダーのな、ベックとかクラプトンの持ってるストラトはヘッドが小さいんだ。
オールドなんだぜ。リッチーやジミヘンのは、現行タイプなんだ。」
とか
「今度クリエイションに参加したフェリックス・パパラルディは元マウンテンなんだけど
クリームのマネージメントやってて、4人目のクリームと呼ばれてたんだぜ。」
とか
「ジェフ・ベックが邑楽村でレコーディングしたアルバムはなんでしょう、答えベック・オラ、なんちゃって。」
なんて、ロックの話しかしなかったのに、

高3になったとたん
「おい、オグラ、『ラ講』始めた?」
「何、ラコウって?」
「旺文社のラジオ講座だよ。文化放送で11時半から12時半まで。」
「あー、オレ12時半からのセイ・ヤングから聴いてた。」
あわててテキストを買いに行って、5月から聴き始めました。
(ちなみにラ講の前、午後11時からは『ハリスの100万人の英語』をやってました。)

 また、
「おい、オグラ、デル単、もう買った?」
「何だ、デルタン?」
「試験に出る英単語だよ,青春出版だよ。赤尾の豆単なんか、もうだめだぜ。」
「いや、俺、豆単も持ってないけど・・・。」

 「試験に出る英単語」は英単語が出題頻度順に載っていて、やったとこまで役立つという
画期的な本だった。
それまでは旺文社の「赤尾の豆単」というのが受験生のバイブルだったわけだが
単語がABC順なのでアルファベットの後半の単語ほど記憶があいまいになるという欠点があった。
豆単では、
最初の単語は
「a:不定冠詞、(意)一つの~、一人の~、ある~」
で、これは、すぐ覚えられるんだけど、2つ目の単語が
「abandon:動詞、(意)やめる、すてる、あきらめる」
なので、ここでかなりの人があきらめてしまう、という指摘があったりする。


 ともかく、Oの奴、ロック小僧があっという間に、熱血受験生になっちゃったのだ。
Nちゃんとうまく行かなかったので、勉強の鬼となったのか。
でも、情報通なとこはロック、受験勉強を問わず相変わらずで、
受験勉強オンチの私はずいぶんと助けられました。


 「O、お前勉強家になったなー。」
「当たり前じゃん、ギターのEなんて、もうギターをケースにしまってカギかけて
来年の春まで、弾かないらしいぜ。」
「何、マジかよー。」
「おお、んでロックのレコードも、聴かないって。」
「ロックのレコードも!じゃあ、片平なぎさは?」
「それは、たまに聴くらしい。」
「なんじゃ、そりゃー。」



 まあ、バンドは、もうできないなー。
でも、オレはレコード聴いちゃうもんね、ギターも気分転換ならいいじゃん。
などと思いつつ勉強の合間、ロック仲間とレコードの貸し借りは続けていた。

ロックな高校生リターンズ(第1話)

 
さて、先日「ロックな高校生」として、私が高校2年生の時のバンド活動を
ほぼ実話で、小説化しました。
これが(一部の読者に)かなりウケたので、
今回、その続編として、私の高校3年生の時の出来事を、ノン・フィクション・ノベラライズしてみます。
その後の、ロックな高校生の活躍に、ご期待ください。



我々、「アースバウンド」のメンバーは、3年生になっていた。
 その後バンドは、練習もしてない。

 受験かー。そろそろ勉強もちゃんとやんねーとなー。

そんな、ある日ギターのEが、俺と、ベースのOのいる5組の教室まで来て声をかけた。


「放送部の部長のOの奴がさー、俺たちにDJやってくれっていうんだよー。」
「何、ディスク・ジョッキー?どこで?」
「お昼の校内放送。」
「何だ、校内放送かよ、でも、おもしれー、やるか。」

 ロック・ボックスが終わって、我々はちょっとした有名人だった。
運動部もあまり盛んでない、進学校では、バンドやって市民会館出たなんて、前代未聞である。

 んで、お昼の校内放送、それまではどーでもいーよーな
イージーリスニングや映画音楽なんかがかかってたのだ。
それも、日替わりランチのようなメニューの少なさで
毎週毎週同じ曲。
ポール・モーリアとレイモン・ルフェーブルとカラべり・オーケストラのヘビーローテーションだった。

 当時は、深夜放送なんかの全盛期でラジオはみんな聞いてた。
DJというのは、今みたいにレコードをシャカシャカするヒトのことではなくて
軽快なおしゃべりに乗せてかっこいい曲をかけるヒトのことで
結構あこがれたもんだ。


 「番組のタイトルはどうする?」
 「ロック・ジョッキーは?」
 「ダセーよ、まんまじゃん。」
 「なんか、ロックのさ、曲のタイトルからとらない?」
 「お、いいねー、そーしよう。何かいいのあるかなー?」
 「”天国への階段”は?」
 「バカ、それじゃ、お悔やみコーナーみてえじゃねえか。」
 「”21世紀の精神異常者”は?」
 「そりゃ、さすがにやべーだろ。皆さん、お待たせしました、
  21世紀の精神異常者です、なんて。やっぱ、英語のタイトルがいいな。」
 「じゃあ”ブラック・ナイト”。」
 「あのなー、真っ昼間の校内放送だぞ。何でブラック・ナイトなんじゃ。」
 「うーん、”ロック・ステディ”は?」
 「おー、いいねー、それっぽい、それでいこー。」

 というわけで、番組タイトルは私の意見が通ってバッドカンパニーの曲から
「ロック・ステディ」に決定。
番組テーマはレッド・ツェッペリンの「ロックン・ロール」に決まった。

 かくして、記念すべきロックステディの一回目、われわれ3人は放送室に集まった。

「おい、部長、職員室は、切っとけよ。」
「あー、わかったわかった。」

 さて、テーマソングの「ロックン・ロール」のドラムのイントロが始まる。
 
”ずだだ、ずだだ、ずだ、ずだ、ずだだだずだだ(感じ、伝わってる?)”

「こーんにちはー、ローック・ステディーの時間でーす。カッコいいロックの曲を
ガンガンかけますよっ。」
「それでは、最初の曲、ツェッペリン待望のニューアルバム、”プレゼンス”から
”アキレス最後の戦い”、いってみよー。どうぞー。」
(何か、今や書いてても恥ずかしいが・・・。)

そこで部長にキューを出して曲に入る。
曲になると、ホット一息。

「お、いいじゃんいいじゃん。」
「気持ちいいな、DJも。」
「何か、プロっぽいよな。」
(若者は、怖いもの知らずである。)

で、曲を聞いてると、放送室のドアをノックする音。
誰かと思ったら、数学のN先生。

「(栃木弁で読んでください)もしもーし、職員室はー、すまんが音、しぼってくださいー。」

「えっ、ハイ、いや・・・、おい部長、だって職員室は・・・。」

「ああー、まじい、ボリューム、逆に10になってるー。」

一同「す、すいませんでしたー。」


 そんなこんなで、出鼻をくじかれたロック・ステディは程なく、打ち切りとなってしまった。
まあ、優しいN先生でよかった。同じ数学でもK先生なら、どやされてたなー。
(ちなみにN先生は、現在市内で内科小児科を開業しているN先生のお父上で、
私、この当時このお父上の塾で数学教わってたのだ。)


 しかし、あー、やっぱ、DJよりバンドやりてーなー。
俺たちは、そんな思いにかられるのだった。

光明は見えず

 勝ったけどブーイングでした。


 第88回天皇杯全日本サッカー選手権大会 第4回戦

   浦和レッズ   1-0   愛媛FC  (さいたま市駒場スタジアム)
      (前半   0-0)
      (後半   0-0)
     (延長前半 1-0)
     (延長後半 0-0)



 へー、愛媛FCって、オレンジがチーム・カラーだっけ。
愛媛ミカンの色なんだ。
じゃあ、もし、J1上がってきたら清水エスパルスとは「ミカン・ダービー」かい。

 ・・・なんて、ノンキなこといってる場合じゃありません。
愛媛FCていや、去年の天皇杯で負けて、赤恥をさらした相手じゃないすか。
あんときゃ、セパハンに勝ってACLを取り、
その週末にも清水に勝ってリーグも決めよう、としたが決められず、
ちょうどいい、ホームでアントラーズに勝って気持ちよく決めよう、としたら、負けちゃって
(わざわざ休診にして行ったのに・・・。)
おいおい、大丈夫?なんていってるうちに天皇杯初戦でJ2の愛媛に0-2でやられちまった、
あの愛媛じゃん。
(その後、さらに降格の決まってた横浜FCにも負けてリーグ優勝逃したたわけだが・・・。)


 今年、京都戦行かなかったので、あの夜以来の駒場か・・・・。
あんときゃ、目の前で起きてることが信じられなかった。
そーいや、行く途中渋滞を避けて回り道したら、道に迷っちゃったんだ、確か。
散々だったなー。



 さて、今年の天皇杯。

 Jリーグ浦和レッズの開催ではないので
スポンサーの看板は布で覆われ、
朝井さんの、直前情報も、岩沢さんの選手コールもない。
(あの天皇杯のアナウンスのバスガイドみたいな声のお姉さんはここんとこ毎年同じみたいなんだけど何者?
まさか、白石冬美さんじゃないよね。)
相変わらず、天皇杯独特の雰囲気に包まれたスタジアム。
 しかし、それだけではない重苦しい空気が、聖地駒場を包んでいた。


 単に日曜日のせいなのか、試合中継がないせいなのか
やはり、今のレッズに危機を感じてるせいなのか、いつもの年よりお客さんは多いみたい。


 そして、試合のほうは・・・・。

 戦術がなく、個人の力で打開するチームは、その個人が力を発揮しないとキビシイ。

 ポンテのパフォーマンスは、怪我から復帰後全然上がってこない。
最初は、そのうち、と思っていたが、ここ最近はかえって低下してるみたいだ。
 キックの精度、ボール・キープ、展開力、どれを取っても昨年のレベルに遠く及ばない。
本人もそれを感じてか、イライラが伝わってくる。

 平川、啓太あたりもパッとしなかった。
啓太のパフォーマンスは落ちてますね。もともと読みと運動量で勝負する選手が今は両方ダメ。
坪井も上がるのはいいが、クロスとかパスとかもっとナントカしてよ。

 しかし、何やりたいかまったくわからないですね。
1つでも2つでも決め事をつくったらいいのに。
あ、ひとつあるか、とりあえずポンテに預ける・・・。

 一方、達也の動きに触発されて、エジは前半よく動いてたと思う。(最後はダメだったけど)
細貝は、良かったですねー。中盤の運動量、危機回避、攻撃参加などピカイチの動きでした。
しかし、あの報復はダメです。
確かに汚いファウルだったが、あれやったら相手の思うつぼ。
お前は、オークボか!(アルパイって人もいたなー。)
前々から細貝のラフプレーは気になっていたが、これがなくなれば代表入りなんだが・・・。


 都築は良く防いでました。結構、やばいシュートもありましたなー。


 さて、90分でも、延長でも(PK戦でも)カップ戦は勝ち点があるわけではないので
結果は同じなわけだ。

 しかし、試合後のブーイングは・・・・。

 私の考えとしては、延長でリードしたあとのロコツな時間稼ぎ、
戦う姿勢の見えないサッカーがサポの不満を生んだのでは。
延長前半から、コーナーフラッグんとこいってましたからね。

 そういう戦い方もないわけではないが、やはりJ1の上位を争うチームが
もらったPKの1点にしがみついて、2部のチームに対して取る戦術としてはお粗末過ぎる。
しかも「ホーム」で。
「プライド」を感じないんだよなー。

 あくまでも、集中を切らさず、追加点を貪欲に取りに行く姿勢があれば、
そしてナンカ次につながる光明が見えれば、
結果的に1-0で終わっても、心から拍手を送れたと思う。
しかも、今チームを立て直すために、リーグ戦再開までにいろいろ戦術を試す必要があるでしょ。
(いや、実際は今試してるんじゃホント遅いんだけど、でも、ナントカしなくちゃ。)


 今年も元旦は空けてあります。


 

耕さない農業

 先日、NHKのテレビ番組で「不耕起農法」を始めた岩澤信夫さんの話を紹介してました。

 「不耕起農法」とは、田んぼを一切耕さないで、稲を作る農法のことです。

 岩澤さんはこのメリットを発見し、長年にわたって広く日本全国に指導している方らしいです。

 そのポイントとは
「耕さないことによって、稲の本来持っている生命力を十二分に発揮させることが出来る。」
ということだそうです。

 簡単に言うと稲が野生化し、根が強く張るようになり、台風などの災害に強く
また冷害などの気候の変化にもダメージを受けにくい。
最初のうちは、確かに収穫効率が悪いが、やがて従来と同程度の収穫が得られる。
害虫に強く農薬が少なくてすむので、環境にも非常によろしい、というものです。
不耕起農法の田んぼには、タニシなんかがいっぱいなんだそうです。

 しかし、最初は「田んぼを耕さないで大丈夫なのか?」「農薬を使わなくて大丈夫なのか?」
と、一般には受け入れられず、ずいぶん苦労されたそうです。

 それが、1993年の冷害の年、従来の稲がほとんど穂をつけなかった一方、
不耕起農法の稲は立派に穂を実らせていたそうです。


 私はこの番組を見て、うーん、このジジイ、やるなー。と大変感動したのですが、
ふとあることに気づきました。


 ・・・ナンカ、この話、昨日の抗生物質の話にちょっと、似てませんか。

 人間は本来、免疫力といって、病原体に対して戦う力を持っています。
そういう力を獲得することによって、何百万年も生き抜いてこられたのです。

 そして、個人個人は生まれてから、いろいろなこの世の病原体と自ら戦うことによって
その免疫を獲得していくわけです。
小さいとき風邪を引いて熱を出しても、それによって経験値が上がり
病原体に対して、戦う武器を手に入れられるのです。

 人間は、本来治る力がある。
だから、お医者さんは病気を治してるのではなく、治る道筋を示すに過ぎません。

 その治癒力を発揮できる状況を作ってあげるのが、医者の仕事でしょう。

 それを、いらない抗生物質を使い続けたために、返って薬の効かない耐性菌をつくり
病気の治りを悪くしてる、なんてバカみたいです。
田んぼは耕さなければいけない、発熱には抗生物質を使わなければいけない、
という、誤った妄信が、稲を、人間をかえって弱いものにしてしまった。


 稲なら、まだ毎年造るからいいけど、人間の体はつくり直しが利きません。

 人間は、自然を自分の都合よくコントロールしようとすると、必ずしっぺ返しを食うようです。


 | BLOG TOP | 

プロフィール

おぐぐー

Author:おぐぐー
昭和60年群馬大卒
開業医4人を中心としたロックバンドC.R.P.のリード・ボーカル&ギター担当
浦和レッズ・オフィシャル・サポーターズ・クラブ会員
家族:妻(耳鼻科医)1男1女1犬(柴犬)
http://ogujibi.com/

カテゴリー

最近のコメント

最近の記事

月別アーカイブ

カウンター

FC2カウンター

現在の閲覧者数:

最近のトラックバック

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

ブロとも申請フォーム

FC2拍手記事別ランキング

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。