そんなわけで、11月19日(ヒトヒトヒトキウ)未明、単冠(ヒトカップ)湾に集結した我々は、
一路、目的地を目指す。
ホノルル放送を頼りに進むとやがて夜明けだ。
おお、ライジング・サン!

目的地はもちろんハワイのオアフ島ではなく、広島県呉市。
午後1時過ぎに到着したが、
まず攻撃に先立って、糧食を補給した。
「大和ミュージアム」の敷地内にあるレストラン。
「海軍カレー」をオーダー。
「旭日旗」が「気分」だ。

海をモチーフにした店内の奥には、
何となく元海軍軍人風のおじいちゃんが、ビールを飲みながら
オレくらいの歳のオジサンに向かって、ムカシ話をしてる様子。

まあ、でもこのおじいちゃん、今生きてるってことは、
少なくとも海軍時代は新米水兵で、甲板そうじかなんかだったんだろうが。
さて、燃料も補給し「全軍突撃せよ」と「トトト・・・(ト連送)」なのだが、
我々の攻撃目標は2か所である。
もちろん、
「フォード島の航空施設」と「真珠湾内の米軍艦艇」
ではない。
「大和ミュージアム」および、隣接する「てつのくじら館」
である。
まずは「てつのくじら館」を、第一攻撃目標に設定した。
これは実際の潜水艦「あきしお」を中心とした「海上自衛隊資料館」である。
基準排水量2250トンの「あきしお」だが陸に上がるとさすがにデカイ。

何せ「ホンモノ」の潜水艦だ。
オタクの血が騒ぐ。

館内には「元海自隊員」と思しきオジサンたちがいて、いろいろ説明をしてくれる。

乗務員用のベッド、セマイ!

操舵席にも座らせてもらった。
でも、ホントは「女は乗せない潜水艦」なのだ。
後ろの潜望鏡のヒトも見学者ですが、なりきってますなあ。

さて、しこたまお土産を買って、
今度は第2次攻撃目標である「大和ミュージアム」に突撃。

目玉は何といってもこの10分の1の戦艦大和。

そして、開戦時の連合艦隊旗艦である
「戦艦長門」の軍艦旗(実物)も展示してあった。

ううう、感無量である。
「ゼロ戦62型」。

しかし、個人的には62型はちょっと・・・・。
やっぱ、ゼロ戦っつったら「21型」だなあ、ワタシ的には。
しかし、一番感動したのは、これ。

ガラスケースの中なのでうまく写真撮れないが、
これナント、あの「平賀譲」博士の直筆ノートなのだ。

「平賀譲」とは、旧日本海軍の造船中将で、軍艦の設計者だ。
「軽巡夕張」や「重巡妙高型」など傑作を次々とモノにして
「造船の神様」ともいわれ
「戦艦大和」の設計にもかかわった。
ともかく死んだ親父が「夕張は本当にスゴイ艦(ふね)なんだぞ。」とよく言っていた。
(親父は元海軍軍医でラバウル航空隊にいた。)
しかし、この辺になるとますますアツくなる私を差し置いて、
ウチの女房殿はすっかり退屈して、
そこらへんで休んでいた。
まあ、ショウガナイ。
最後に大和ミュージアムのテラスからまた「あきしお」をバックに。

ああ、呉の港が暮れて行く。(シャレか。)

いやあ、本当に来られて良かった。
次はラバウルだなっ。
(いくらなんでも、そっちの方で学会はないわなあ。)
今回の記事は一般の読者に対して難解な表現や言い回しがありますが、
原作者の意図を尊重しそのまま掲載いたしました事をご了承ください。


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~しかし、今日はちょっと続きもあるので・・・・。
続きです
しかし、金、土と休診にして、
おまけに火曜日も祝日なので、
予想はしていたが、月曜日は混んでいた。
実際に受診された、窓口来院者数は266人、
インターネット受付をしたがおそらく一向に番が来ないためキャンセルをしてた人も
パソコン上で30人以上に上り、
インターネット見ただけで受付をあきらめた方々はさらに多かったっだろうなあ。
それもこれも私のせいです。
ゴメンナサイ。
中でも、夕方、サヤちゃんのお母さんに
「今日は混んでますねえ。
インターネットの待ち人数見て受付やめようと思ったけど
薬無くなっちゃうので何とか来ました。」
「・・・すいません、金、土と休んじゃったもんで。」
「まあ、学会でお勉強ですからしょうがないですよ。」
と言われた時、
「(実は、本当は学会は土日だったんですう、)」
と言えずに下を向いてしまった・・・・。
今度は、正直に掲示しようか・・・。
(って、今度っていつだ。)
いつもサッカーの時は
「Jリーグのため休診」と、待合室に掲示してるのだが。
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